「世界の山旅紀行」 1984年〜2020年
8期(昭和44年卒) 三日月 道夫

 日本百名山を終える頃から海外に出かけ始めました。最初は1984年、マレーシアのボルネオ島・キナバル山(4101m)に、次に憧れていたスイスへ、キリマンジャロ(5600m)に始まり、その後各国の登ることができる最高峰の山(台湾の玉山など計20か国)、遺跡や秘境といわれる箇所、世界遺産もターゲットの場所として見て回り、年を重ねる頃にはヨーロッパ中心にでかけ、2020年コロナ騒動以後出かけることができなくなり、最近はTVの旅番組を見ながら行った場所の思い出にふけることとなりました。1984年〜2020年での訪問国は観光だけの国・地域を含めて91ケ国になります。この間世界情勢も色々変化し、時には行けなくなる国もありましたが 行きたい箇所には大体行くことができました。


 当初はいわゆる「ツアー」に参加の形でしたが、2000年以降はネットも発達して、自分で計画手配しての個人旅行にかけることができるようになり、更に グーグルマップ、トリップアドバイザーなどの旅ツールを活用し、行きたいところへ行け、旅の更なる楽しみを感じながら行きました。その中でも「MAPS.ME」は、世界中のどこの国でもデータをあらかじめダウンロードしておけばオフラインで使用でき、街歩き時は目的地に迷うことなく行け、ある程度の山歩き登山道も載っていますし、車移動の場合のカーナビとしても有効に使えました。

旅につきもののトラブルは、フライト変更での帰国遅延、預け手荷物の遅延などが数回はありましたが、いずれも帰国に向かっている時で特に問題にはならずでした。何と言っても最大のトラブルは「パスポート盗難」でした。それはタヒチ島でのこと、島の海岸を散歩中にかばんを置いて少し離れている時、パスポート、航空券、カメラを抜き取られ、ここには領事館もなく個人旅行でしたので、現地旅行会社代理店の日本人の方に助けをいただき 盗難証明書を発行してもらうべく地元警察署へ、空港で諸々手続きをしてギリギリ予定の飛行機に乗り無事帰国できました。

地球には数千年来の歴史の中で 色々人々がそれぞれの環境、文化、習慣の下で生活を営んでおり、またそこには自然の色々な景色もありました。以下に特に記憶に残った箇所を記します。

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1)1985年8月に行った最初の「スイス」 グリンデルワルト、ツェルマット、シャモニーに泊り アイガー、マッターホルン、モンブランの三大秀峰を見、数々の高山植物をめでながらトレッキングで風景に感動し小さい頃からの夢を叶えることができて、海外にはまることとなりました。


2)2000年4月の「ネパール」のエヴェレスト街道」を歩く16日間のトレッキングではゴーキョ(5360m)、カラパタール(5545m)にも登り、世界最高峰のエヴェレスト展望、ヒマヤラの山々を充分堪能できました。他に2011年11月アンナプルナ内院では360度間近に山なみを見ることができ、夕焼け、朝焼けの景色に感動しました。


3)2005年2月の「南極」への旅では、南米最南端ウスアィアまで飛行機で3日かけて行き そこから更に船で3日間 荒れ狂うことで有名なドレーク海峡を越えやっと南極海に到着。4日間氷山を見ながら移動しゴムボートに乗りいくつかの島に上陸し 旧観測基地にも立ち寄りながら 多くのペンギン、アザラシ、クジラを見る旅でした。



4)2010年1月エチオピアの「ダナキル砂漠」はアフリカ大地溝帯の一部にあり 標高マイナス100m 世界でも酷暑で知られている所です。エルタアレ火山の燃え滾るマグマだまりをじかに見て、ダロール火山で地球の創生に関わるような極彩色の景色を体感。この極限の地で生活しているアファール族の人々の暮らしにも触れて地球の奥深さを感じたものでした。


5)2018年10月「サンチャゴ巡礼路」フランス人の道全800kmのなかのフレンチバスクからピレネーを越えてナバーラへのルート約140kmを 巡礼者とともにホタテ貝を身に着けて合言葉「ブエン・カミーノ(良い巡礼を)!」を掛け合いながら7日間歩きました。巡礼路の最大の難路ピレネー峠越えでは雨にあいましたが、ほかの日は歩きやすい時期で、スペインの味覚も堪能してきました。


 6)2021年2月「グリーンランド」イルリサットで2晩見ることができたオーロラは、以前にもフィンランド、カナダなどでも見てきましたが、条件が全て揃い最高のものでした。また氷床、スノーシューハイキング、氷山クルーズを体験しました。


令和3年OB会報NO52より抜粋