俊朗さんを偲んで
8期 (昭和44年卒) 佐藤 拓哉

 今の私があるのは、俊朗さんの優しさのお陰である。ワンゲルで4年間過ごし、同期のオギャーと結婚し、共に山を登り続け、岩壁に挑み、一人になり、75歳になった今でも岩壁登攀を続けている。

真尾さんから送られてきた会報用の原稿を見て、俊朗さんが旅立ったことを知った。闘病生活を続けられていたことは知っていたが、ついにその時が来てしまったのかという想いであった。

俊朗さんのことを思うといつも思い浮かべるのは、退部したいと申し出た時のことである。2次新練の直前だったと思うが、1次新練が山の喜びとは程遠いものだったので退部しようと思った。当時は30人くらい入部したと思うので、嫌ならどうぞと言われてもおかしくなかったと思われる。その時、俊朗さんは、優しく山の魅力を説き、2次新練は行かなくていいのでもう少し続けるようにと言ってくださった。その優しさがなければ、山を続けることも、オギャーと共に人生を歩むこともなかったと思うと、感謝の想いでいっぱいである。1年生の時は、無断で岩手山に一人で登ったことはあっても、上級生とフリー山行に行ったことはなかった。体調の問題だったと思うが、旧練にも参加しなかった。本当に苦しい訓練合宿は一度も経験しなかった。それにも拘わらず川内代表にしていただき、主将を務めさせていただいた。

 私のワンゲル生活の陰には俊朗さんの優しさがあったと今でも思っている。いつもそのことが思い浮かぶ。もし向こうでオギャーに会ったら、ワンゲル時代の思い出話しをしてやってください。

令和3年OB会報NO52より抜粋