キーウに行ったことがあります。1985年の9月でした。当時はまだ「ソ連」の時代、ゴルバチョフが書記長に就任したばかりの時期でした。当時、溶接の研究者だったワタクシは、フランスのストラスブールで開かれたIIW(International Institute of Welding)のInternational
Conferenceに参加し、日本溶接協会で行った研究成果を報告しました。その報告が終わったのち、キーウに行く機会を得ました。日本溶接協会の一員だったので、団長の藤田譲会長と新日鐵の河野さんの3人で、ソ連の研究所を訪問したのです。