谷川岳遭難事故に遭遇
8期 (昭和44年卒) 前田 吉彦

 ここ十数年、GWには昔の職場の後輩O君と二人で、雪上山行を恒例としている。アイゼンとピッケルの装着訓練を兼ねて、谷川岳であったり、日光方面であったり、とにかく一日雪上を歩き、どこか近くのひなびた温泉宿で一泊する。今年のGWを目前にした週間天気予報は「4月28日は晴、翌29日から雨模様」。その上、コロナ対策の「県民割り」がGW期間中は使えない、そこでGW直前にしようという打算が働き、28日に谷川岳行きを決行。

しかし天気予報に反して、ガスが取れない。ロープウェイ山頂駅からアイゼン装着。雪の天神尾根はガスに包まれ、視界ゼロ。ガスが身体にまとわり付きびっしょり濡れる。メガネやカメラも曇る。コロナの影響で未だ登山者が少ないのか、いつもなら雪面に設けてくれている案内用竹竿やガイドロープも無い。全身濡れ鼠状態で頂上直下の肩の小屋に逃げ込む。我々の他には、寡黙な単独行者一人。程なく女性一人を含めた3人パーティーが到着。小屋の狭い入り口で、靴も脱がず食事をしている我々を尻目に、3人組は慣れた様子で靴を脱ぎ、奥の部屋の雨戸を開け、明るく広い畳部屋でビール片手に寛ぎ始めた。

天候の回復は期待できないものの、一応山頂を目指す。山頂は風が強くガスの流れも速い。一瞬周囲の光景が現れるが、カメラを構える前に再びガスに包まれてしまう。粘って待っていると、先ほどの3人組も登ってきた。記念撮影を依頼されたが、その内の一枚は横断幕を広げたポーズであった。何と書かれた横断幕だったかは、良く見なかった。

下山は霧の中。雪上に時折登山道が現れるが、アイゼンを付けたままでは岩だらけの登山道の歩行はひどく困難。歩きやすい雪田は広く、油断すると楽な西黒沢方面に惹かれる。GPSで方向を確認しながら、慎重に下る。熊穴沢避難小屋で休憩した後、下山を再開。2時を過ぎたばかりだが、霧で辺りは夕方のように感じられる。
 尻だし岩の近くでは、一旦尾根を離れて、西黒沢側の急斜面をトラバースしなければならない箇所がある。衣服の調整をしたいと言う相棒を待つ間、少し前進して尻だし岩の登攀ルートを探る。その時後方で大きな声。何と叫んでいるのか聞き取れないけれど、切羽詰まった感じ。

快晴時の尻だし岩周辺( 当日はガスガスだった )
谷川岳天神尾根概念図
 数十mほどバックしてみると、女性が一人急斜面で震えながら、うずくまっている。「滑落した。仲間が助けに下った。警察に連絡して欲しい。」直ぐさま相棒と二人、状況を確認しながら警察に電話連絡を始めた。霧が深く十数m先しか見えないものの,時折ガスが薄れる瞬間があり、数百m下方まで滑落したトレースが認められた。しかしその先は谷に落ち込み見えない。

 女性はこのような事故は初めての経験なのか、狼狽えている。先ず女性をより安全な場所に案内する一方、今までの経験から、救護隊到着までには相当時間か掛かると思えたので、照明通信器具、予備服や食料の有無を聞き、不足する物を渡し、長期戦に備えるよう話した。今日の雪の状況は、いわゆるクサレ雪であり、何故滑落を起こしたのか想像しにくい。ズボンにアイゼンの爪を引っかけたのか?

警察との交信中、助けに下った仲間と警察の交信も始まったようであった。「滑落した人は動けない。」との情報。山岳救助隊も準備を始めたようだが、詳細は分らない。霧で周囲が暗くなるのは早い。ロープウェイの最終便時刻も気になり、警察のアドバイスに従って、女性一人を残し我々は先に下ることになった。

小一時間でロープウェイ山頂駅に到着。既に我々以外他に客はいない。山麓のビジターセンター前に駐車していたO君の車に近づくと、早くも救急車、報道車数台が待機。上空には、霧の晴れ間を狙っているのか、ヘリコプターも旋回していた。警察車両とすれ違う中、我々は宿泊予定の水上館に向かった。宿で温泉につかり、夕食を待っていると、警察から電話が入り、遭難者は深刻な状態だという。「もし誰かに押されたら、滑落するのか? 3人の間で言い争いは聞かなかったか?」など犯罪を疑う質問が延々と続く。

翌日自宅に帰ったら、群馬県在住のO君からMailあり。地元新聞のWebニュースによれば、昨日の遭難者は亡くなった。神奈川県の49歳の眼科医で、我々が手助けした女性はそのお奥さん。早速眼科医院をNetで検索してみると、昨日肩の小屋と山頂で会った男性が、病院長として実に温和な表情で紹介されていた。一瞬のアクシデントで、今までのキャリアを失い、家族を悲惨な状況に陥れたようだ。何とも言葉が無い。登山は日常生活より事故のリスクが大きい。リスクを十分計った上で、これからも登山を楽しもう。

当日はガスガスで写真がありませんので いずれも 2017.5.3 のものです
令和4年OB会報NO53より抜粋