北アルプス黒部御山谷遡行
(2023年8月4日~6日)

22期(昭和58年卒)石川 勤
メンバー : 21期 千田敏之、22期 手塚和彦、石川勤

 しばらく前から沢登りが怖くなり、縦走と日帰りの冬山のみの活動となっていたが
”やっぱり夏は沢がいいね!” ということで今年の夏合宿に向けて怖くない沢を探すことにした。数年前に赤牛岳から奥黒部ヒュッテまで読売新道を下った帰りに渡った御山谷(地図参照)を思い出しネットで調べたところどうやら滝が一つもなく立山の一の越に行けることが分かり行ってみることにした。

 体力面に不安があるため雲取山でプレを行い、本番も出来る限りの軽量化を目指した。

 新幹線で長野駅下車、バスを乗り継ぎ黒部ダムに11時前に到着。1980年のTUWV夏合宿では仙台から1日かけて扇沢に移動しただけだったことを思うと隔世の感がある。

 ダムから1時間強で御山谷出会いに着く。天気も良く快適な沢登りが期待された。沢中に滝はないものの結構大きな石がごろごろしている。学生の時は石の上をピョンピョン飛んで行けたのが、今は一つ一つ石に上っては下りる繰返しで時間がかかる上に疲れる。テンバを探しながら進み、1800mの二股付近に良い場所を見つけて張ることにした。

 まずは、持ってきたソーメンで遅めの昼食。ネットを使い沢中で一気に除熱する手法で久しぶりに絶品ソーメンを味わう。イワナが釣れることを期待して焚火の準備をするが、水温が低かったことに加え夕立もあり残念ながら釣れなかった。夕立は強烈で一旦テントに退避。雨がやんでから焚火を囲んで酒を飲む。至極の時間だ。

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 翌日も快晴。龍王岳、鬼岳、獅子岳の美しい稜線を見ながら標高を上げる。開放的なU字谷で見通しが良い。石がごろごろの状態はあまり変わらず、水が切れたあたりから疲労を感じる。右上には一の越に至る道が見えてきたがなかなか近づけない。

 小さな雪渓を超えて右の小沢に入る。無心で登り11:30頃一の越手前の2650m付近で道に到達。小屋にたどり着くと大変な混雑で、静かな沢歩きはここで終了。


 雄山には小学生の団体も登っている。バテきったため立山の縦走はやめ雄山を空身でピストンし、雷鳥沢のテンバに向かう。テントを張ってビールを買いに行く間に強烈な夕立に合う。前日の夕立とほぼ同じ時刻だった。雨が上がった後に立山を堪能しつつ飲む。



 最終日は室堂から帰るだけだ。最終日もとても良い天気。途中のみくりが池温泉の営業開始時間を見計らって出発。帰り道なのにじわじわと登りがあるのが辛い。

 温泉に入って富山で反省会後解散。皆もう60代半ば、来年はどこに行けるかな。

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  【 御山谷の大滑降の思い出 】(8期 佐藤拓哉)
  立山・一ノ越から黒部湖までの御山谷滑降は、木曽御岳の頂上直下からの大滑降とともに忘れられない
  大滑降である。
  24年前の春、オギャーと二人で雷鳥沢をベースに、立山や剣沢の大斜面を自由に滑りまくった。
  そのハイライトが御山谷の滑降であった。
  (テント等は室堂から宅急便で。帰りは黒四からそのまま扇沢へ。)
  石川さん達が二日がかりで登った沢を、あっという間に滑ってしまった。
  あの沢の真ん中で焚火をしながら深い山に浸っている姿を想像すると、羨ましくもある。
  【 TUWV と酒 】(8期 佐藤拓哉)
  先日、33期の星さんと城ケ崎でクライミングをした。
  車で帰る時、彼の現役時代には山に酒を持っていったと聞いて驚いた。
  我々の頃は、山に(少なくとも合宿に)酒を持っていくのは禁止されていた。
  酒を飲まない私にとってはどうということもないが、今思えば、軽量化のためとはいえ、酒好きの面々
  がよく我慢していたものである。
  私はそのストイックさが好きで、クライミング仲間に自慢し、彼らが山に酒を担いでいくことをけん制
  していた。
  2年か3年の時の最終合宿(4年生の追い出し合宿)で泉ヶ岳に集まった晩、4年生が酒を持ってきた
  と言って下級生に吊し上げられたことも、今では懐かしい。
  そのTUWVがいつ頃から山に酒を担いでいくようになったのか、
  あまり意味のないこととはいえ、私としては興味のある話である。
令和5年OB会報NO54より抜粋