60年前の現役時代の登山
3期 (昭和39年卒) 後藤 龍男

 年を越すと齢84歳です。ずいぶん歳を取りました。もう山には登らなく(登れなく)なりました。最後の登山は、コロナ前に3期同期の佐藤君等と登った安達太良山です。安達太良山は何度も登っている懐かしの山で、将来散骨をするならこの山にしょうと候補に挙がっています。今回はその下検分を兼ねました。どこに撒いてもらうか決めるためです。

 頂上までは半分ロープウエイを使って難なく登れましたが、下りがまったく駄目でした。バランスを崩してよろけてしまい、疲労困憊でヘロヘロになって、這々の体で麓にたどり着きました。こんなみじめな登山は生まれて初めてでした。それに懲りて、以来山には登っていません。老化による衰えは足腰の筋肉ではなくバランス感覚の劣化から始まるようですね。


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 先日NHKBSの番組で南アルプスの甲斐駒ヶ岳登山をやっていました。単独行の登山者が黒戸尾根を麓の神社から頂上まで、途中山小屋に一泊し、二日かけて登るドキュメンタリー番組です。黒戸尾根は60年前の大学3年の時、夏合宿で登ったことがあります。2年生と3年生(1年生は手足まといになるので連れて行かなかった)が小俣、遠山、松木、後藤の4パーティに分かれ、南アルプスを東西南北から三伏峠に集中する山行でした。小生のパーティは黒戸尾根から甲斐駒を越え、仙丈岳、北岳、間ノ岳、農鳥岳、塩見岳と辿り三伏峠に至る、南アルプスのゴールデンルートでした。

 当時の南アルプスは仙台から遠く、東北にはない3000m級の山々が連なり、気分としては昨今のヒマラヤトレッキングに相当する大冒険登山の感覚でした。今ではハイキングに毛が生えた程度のコースのようですが、懐かしの急登の黒戸尾根が、はたして60年後の現在はどうなっているか、興味津々でテレビを見ていました。

 同級生の教育学部の中込さんが甲斐駒の麓の出身で、前日彼女の家に泊めてもらい(庭にテントを張ったと記憶)、翌朝オート三輪で黒戸尾根の登山口まで送ってもらいました。そこから登山を開始したのですが、今回のNHK番組とまったく同じルートを辿ります。

 はたしてどう違っているか。結論を先に言ってしまうと、登る途中の風景にまったく見覚えがない。景色がまったく違う。違う山を歩いているような感覚です。我々の頃は麓の神社の登り口からいきなり急登が始まったと記憶していますが、番組では登りはじめは傾斜が緩い林間コースをゆったり歩いています。

 我々の頃の南アルプスは有人の山小屋など一切なかったので、10日分の食料と重たいテント(あの頃の分厚い綿布のテントは重かった)で各自50キロを超えた重いザック(当時キスリングと言った)を背負っていましたが、テレビの単独行は20リットル程度の小さなザック一つで軽々と歩いていました。7合目の七丈小屋が今では有人の三食付きのすこぶる立派な山小屋なので、雨具以外、荷物は要らないのです。善し悪しは別として、便利にはなりましたね。

 番組では話を面白おかしくするためか、谷を渡る危うげな梯子や、絶壁をよじ登るロープや鎖がやたら出てきますが、まったく記憶にありません。そんなものあったのかといぶかるほどです。たった60年で山の姿形が変わるわけもなく、こちらの脳内記憶が劣化したのかもしれません。

 七合目の手前で刃渡りと称する両側断崖絶壁の痩せ尾根が出てきました。これも記憶がない。まったく憶えていない。もしあったとして(あったのでしょう)、50キロのザックを背負ってどうやって渡ったのだろうと不思議な思いでした。おそらくこの程度の痩せ尾根は、50キロを背負って難なくスタスタ歩けたと言うことでしょう。だから記憶に残っていない。小生を含め、当時の20歳前後の若者達はみな達者で体力絶倫だったのですね。


 テレビの登山者と同じく、一日目は我々も7合目の山小屋(当時は無人)の近くにテントを張って泊まりました。夜間台風がやってきてテントを揺るがしました。テントの中で携帯ラジオのNHK第二放送を耳を澄まして聞きながら天気図を作ったのを憶えています。「午後4時の天気概況です。、、」で始まり「石垣島、東南東の風、風力3,気温25度、気圧1050ミリバール、、」と続く放送で、それを聞きながら天気図に書き取っていく。今となっては懐かしい。今でも放送しているのだろうか。ワンゲルで日常的にそういう天気図作成訓練をしていたのですが、今頃はやらないのでしょうね。居ながらにしてスマホで台風の進路や詳しい天気予報が時々刻々見られるのでしょうね。便利な時代にはなったのでしょうが、登山が冒険らしくなくなってしまい、妙に寂しい気分です。

 翌朝は台風一過の晴天だったのを憶えています。テントを畳んで早朝に七合目を出発。甲斐駒の頂上にはかなり早い時間、おそらく8時前後に着きました。独立峰の駒ヶ岳山頂は絶景で、前方に北岳、仙丈岳鳳凰三山と南アルプスの高峰が連なり、後方を振り返れば八ヶ岳連峰に朝日が当たっていました。眼下を見下ろすと甲府盆地に中央線の線路が延び、蒸気機関車が煙をなびかせながら走っていたのを憶えています。当時の国鉄のローカル線は蒸気機関車が走っていたのですね。

 花崗岩が風化した頂上付近の白砂青松の光景は、単独行のテレビとほとんど同じで記憶どおりでした。60年経ってもさすがに山頂の景色は変わっていないのですね。一休みして頂上から千メートル下の北沢峠まで、文字通り駆け下りました。テレビのお陰で、懐かしい山行を思い出せました。

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 これも先日、別のテレビ番組で見たのですが、奥穂高のジャンダルムです。ここも大学2年の夏に2期の渡辺さんと小俣、遠山、後藤の4人で歩いたことがあります。黒部から入って剱、立山、薬師を経て奥穂高まで、同じく50キロ担いで北アルプスを縦走し、最後にたどり着いた山頂でした。奥穂高頂上からジャンダルムまでは空身で軽々と往復した記憶があります。あの岩尾根は一般ルートではなく、今はとても歩けそうにない。おそらくバランスが取れず、立っていることすら難しいでしょう。今では夢のような話です。つくづく歳は取りたくないものです。

 渡辺さんと遠山はすでに鬼籍に入っています。

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   【 何という奇遇 】(8期 佐藤拓哉)
   後藤さんパーティと同じ3000m峰を縦走していたとは、何という奇遇!
   8期が3年の時の夏合宿も南アルプスでした。
   私のパーティは夜叉神峠から入り、鳳凰三山 - 甲斐駒ヶ岳 - 仙丈ケ岳 - 北沢峠から野呂川下降 -
   (スーパー林道ができる前)- 広河原から北岳 - 間の岳 - 塩見岳と縦走し、雪投沢を下って奈良
   田に出ました。
令和5年OB会報NO54より抜粋