関川利男さんを偲んで
4期 (昭和40年卒) 平塚 征英
 第4期主将だった関川利男さんが、2023年9月3日にお亡くなりになった。

 同期の小原氏から訃報メールが届き、葬儀は家族葬で行うとの息子さんの話だった。詳しい事は分からなかったが、同期生(幾久会)の間でお悔やみのメールが飛び交った。現役の頃の彼の思い出やエピソード・香典は?などの話もあったが、遺族に対して特に対応はしなかった。私としては、比較的近くに住んでおり、同期会以外にも飲み会などで彼と会っていたこともあり、適当な時期に偲ぶ会を開こうと考えていた。

 四十九日忌も過ぎた10月初めに、小原・秋葉と偲ぶ会の日程を相談し、11月1日に偲ぶ会開催を決め、10月18日に幾久会全員に「関川さんを偲ぶ会」案内を出した。偲ぶ会では最初に遺族宅を訪問し、奥様にお悔やみを申し上げ、仏前にお線香をあげて故人を供養したいと考えた。固定電話も携帯電話も通じないため、奥様宛にお悔やみの手紙を出して当日のご都合を伺った。

 偲ぶ会の数日前に息子さんから携帯電話があり、奥様は体調不良のため入院しており、三輪緑山宅の弔問には応じられないので、偲ぶ会で父親の思い出を楽しく語り合って欲しいとの話だった。今年の正月頃から首の痛みが激しくなり、リウマチ以外の病気もあったようだった。体調が良い時に新潟の実家を見に行った事や、遺骨は土浦の姉のお寺に預けており納骨式も未だとのことだった。

「関川さんを偲ぶ会」は川崎市麻生区新百合ケ丘の居酒屋で、関東在住の全員7名が集まって開催した。秋葉・及川・小原・島崎・野村・平塚・緑川の7名。普段は余り出てこない者も、中止になった遺族宅弔問のため参加だったが、これも故人の引き合わせか!

いつものように近況報告から始まり、関川さんの思い出の順に話を進めることとした。  近況報告と関川さんの思い出は下記の通り。

   【近況報告】

秋葉:健康なほう。耳と目が悪い。色々活動していたが手を引いた。歩く会には参加。
   奥さんが脳内出血で半身不随。家事全般をやっている=主夫業。

及川:病気なし。北八ヶ岳の小屋の仲間と旅行。
   北海道と九州の山には登ったので、そろそろ本州の山でも。
   散歩1時間程度。酒はセーブ。墓を買った。

小原:山は一人ではコワい。茅野の秘密基地で畑作業。ピザ窯もある。
   防犯パトロール毎日3キロ。5キロマラソンに挑戦。
   スマホ相談会をやっている。

島崎:心房細動の手術をした。インプラント治療のため歯が全くない。
   山には行っていない。奥さんの三回忌が11/4に。

野村:網膜の病気が進み、焦点が合わなくて良く見えない。
   パソコンはハイコントラスト、最大に拡大して見ている。
   蓮田市歩こう会には何とか参加している。

平塚:シニアの会でアウトドア活動を行っている。つなみ巡礼と三角点を巡る会。
   8月に心筋梗塞の手術をした。

緑川:8月より微熱が続き体調不良でやる気が出なかった。
   医者も原因がわからず排熱障害で
はないかともいわれた。
   体調も良くなってきたので野外活動も再開した。
   声を出しての読書や字を書くことをやっている。

 【関川さんの思い出】
 ・ 主将の候補は小原・島崎・関川だったが、関川が選ばれた。
 ・ 何と言っても、痔の手術で入院したこと。皆で笑わせたので、手術跡が痛んだことでしょう。
 ・ 同郷の西野と仲が良かった鈴木の下宿で会ったことがある。
 ・ 仙台の飯はマズいと良く言っていた。
 ・ 南アルプス夏合宿の後で越後三山に登り、新潟の実家でお世話になった。
 ・ 奥秩父秋合宿の帰りに韮崎で食べた蕎麦がうまかった。
 ・ 小海の別荘には、山の木の調査を頼まれたり、薪割りもやった。
 ・ 葉山の湾でボートにのって釣りをしたとか。一緒にキス釣りにも行った。
 ・ 鈴木の葬儀の頃から、仲間の家を訪問するようになった。
 ・ 新百合ケ丘では秋葉・平塚・緑川と会食を何回かやった。
 ・ シャクナゲの高蔵寺で待ち合せして、お宅にお邪魔したこともあった。
 ・

病気が多かったが、その都度回復して、懇親会にも良く参加してくれた。

呑兵衛幹事が高めの参加費を設定したが、80歳を超えた仲間は飲む方も食べる方も少なくて、比較的安く済ませることが出来た。

集合写真と最近の同期会での関川さんの写真を添付します。

秋葉・平塚・小原・島崎・及川・緑川・野村
 なお、11月下旬に奥様から電話があり、今は相模原市で過ごしているとのことで、偲ぶ会の報告をお送りすると伝えた。
令和5年OB会報NO54より抜粋