渡邊文隆君の思い出
6期 (昭和42年卒) 青木 祐二

奥様から文隆君の訃報が届いた。数年前に食道癌を患ったがしばらくは山登りや旅を楽しむほど回復していたというが、9月8日に79歳で永眠した。

 我々6期は1963年(昭和38年)の入部時はワンゲルブームで新入部員は約100名だった。彼は仙台一高出身で高校時代は柔道部と写真部だったようでバンカラ風で体力があり写真撮影が大好きな青年だった。また読書が好きでいろんな本を読んでは感想を聞かせてくれた。当時部室に自由に書き込める連絡帳があり、そこにいつも彼の書き込みや面白いコメントを残していた。

最初の部員数は多かったのだが新人訓練、旧練その他山行でハイキング程度を期待していた者はあっという間に退部したがそれでも夏合宿では8パーティ、同期は1パーティに5人もいた。

彼はキャンパス内の喫茶店ビーネやルーエでいつもコーヒーを飲み、トーストを頼むシティボーイの趣があった。当時火災で失った装備を補充するため、先輩達がダンスパーテイを企画した。必死にダンスを練習したのも一緒だった。

仙台市の愛宕橋の近くに実家があり、我々はよく彼の実家にお邪魔し、朝まで麻雀をやったものだ。朝早くお母さんが親切にも、おにぎりを沢山作って出してくれたのも懐かしい思い出だ。

工学部精密を卒業し、オリンパスに入社後も毎年のように仲間と山やスキーに行っていた。海外の山にも一度行ったと聞いた。

我々6期は卒業の時は27名 今は7名が亡くなって20名になってしまった。

2017年7月の同期会(尾瀬)にて

令和5年OB会報NO54より抜粋