出会い、そして最後のアイスクライミング
8期 (昭和44年卒) 佐藤 拓哉

 「二口」・・・耳に飛び込んできたこの2文字の短い言葉がすべての始まりであった。この言葉が聞こえてこなければ、3歳年上の高橋さんとの9年間にわたるアイスクライミングも、そして20年来の「トマの風」とのお付き合いもなかったかもしれない。

 それは2005年1月22日、オギャーと二人で西上州の子犬殺しの滝を登って帰ってきた夜の、道の駅「下仁田」の休憩室でのことであった。滝で一緒になった「トマの風」のメンバー5人が団欒している隣で夕食を食べていると、「二口」という言葉が耳に入ってきた。思わず、「二口って、山寺と宮城の県境の二口ですか?」と聞いたところ、東北大学のワンゲルに情報をもらい、夏に二口に沢登りに行っているという話を聞いてびっくりした。「こんなところで二口の話がでてくるなんて・・・」

当時のワンゲルは藪専門であったが、藪の嫌いな私は我流で二口の沢を登りまくった。それが後輩に受け継がれ、「トマの風」に結びついていったということになる。子犬殺しの滝でのただのすれ違いから、一気に昔からの山仲間になってしまった。共に山への思いを持つということは、本当に不思議なものである。

 それ以来9年間、西上州のいろいろな氷瀑を案内していただいた。少なくとも15回以上は一緒に氷瀑を登った。二人だけでも何度か出かけた。高橋さんとの最後のアイスクライミングは、2014年2月8日の湯川・乱菊のツララである。この日は大雪の予報であり、誰も居なかった。雪の積もった林道を分け入った。林道のガードレールからトップロープを張って懸垂下降で川原に下りた。雪が降りしきる中、交替で登った。心なしか、高橋さんにいつものキレがなかった。クライミングを終え、車に戻る時も元気がなく、かなり疲れている様子であった。

帰りはバンパーも埋まる雪をラッセルしながら車で林道を下りた。走ると雪がフロントグラスに吹き上がり、まるで地吹雪の中を走っているようであった。問題はその後で、あちこちで動くことができなくなった車に道を塞がれ、ノロノロ運転の連続で、12時間もかかって帰宅した。これが高橋さんとの最後のアイスクライミングになってしまった。

その時に車に忘れていった帽子(Headの黒い帽子)とストック1本は今でも我が家にある。喜寿を過ぎた今年の夏から、そのストックを使って岩壁の基部まで喘ぎながら登っている。

高橋さんが亡くなられた8月31日は、3年半前に亡くなったオギャーの誕生日でもある。不思議な縁である。むこうで二人でクライミングの話をして ・・・・ お墓でオギャーにそう頼んできた。

2007年3月17日 ナメネコフォールの前で(右端、真ん中はオギャ〜)
2014年2月8日 湯川・乱菊を登る
令和5年OB会報NO54より抜粋