12期 松井 一昭さん追悼
12期 (昭和48年卒) 神山 文範

 12月12日、松井とのラインに、娘さん(山本良子さん)から、6日に父が亡くなったという知らせが入っていた。驚天動地の驚きだった。実は、この10月25日に僕の主催する三浦半島の低山(鎌倉アルプスや大楠山や武山等)歩きに参加されて(と言っても、持病のヘルニアで最近は山道は避け別行動)、その日は我が家に泊まっていたからである。また、今年春の低山歩きで武山に登った一行を津久井浜で待っていた彼と、浜辺で東京湾越しに見える房総の鋸山・伊予ガ岳・富山に来年春には行こうと話していたからである。

 その後判ったのは、熊谷で一人暮らしの彼は結婚された娘さんと毎朝ラインで連絡を取っていたが、6日朝は連絡が無く、娘さんが電話しても通じず、警察に家の中に入ってもらったところ、寝たまま亡くなっていたということだった。会社(日立金属)を定年退職後、成年後見人として多くの高齢者などの後見活動をされていた(我が家に泊まるのも成年後見人を始めた我が妻の疑問に答え、指導し、話すことが課題になっていたからだ)が、自分が被後見人になることや、介護を受けることを避けて、「ピンピンコロリ」で逝ってしまったと考えれば、誠に彼らしい最期ではあったろうが、自慢の5人のお孫さんを考えれば、早過ぎるよ、と心から言いたい。

 思えば、50年以上前、東北の山を一緒に登り始め、仙台の八幡湯に入る度にその前の彼の住まいに寄り、大江健三郎や高橋和巳の本に触れたのが、昨日のように思えてくる。卒業後も20周年(二口)、25周年(朝日)、30周年(鬼怒沼)、35周年(TUWV創部50周年をかねて泉)、40周年(二口)、41周年(川渡)、50周年(4546の会と一緒に秋保木の家)の全てに参加したのは、松井と僕だけだ。さらに2022年5月28日の鎌倉の源頼朝墓の横から十王岩に登ってから(この時は登ったね)は、前述の春秋の三浦半島低山歩きに熊谷から参加され、我が家に泊まるのが常であった。

 14日の「府中の森市民聖苑」での簡素な葬儀に藤田さん(旧姓半沢)と参列させていただき、お別れしてきた。今でも信じられないが、今はご冥福を祈るばかりである。

2025年10月25日、鎌倉瑞泉寺前にて(松井さんは左から2人目)

令和7年OBG会報NO56より抜粋