まさに別天地と言っていい赤木平は、高山植物が咲き乱れる草原で、もし晴れていたらゆっくり昼寝でもしたいところだが、天候が急変、雷も鳴り出したので薬師沢左俣をすぐに下降し始める。
……が、この左俣が曲者だった。下調べを一応ネットでしていたのだが、「ザイルを出すほどのこともない簡単な下降ルート」とのことだった。しかし、草原を過ぎ、下りが始まると様相は一変。急峻な滝が連続し、滝の脇の藪を使っての過酷な下降を強いられる。7mmザイルを持ってはいたが、懸垂下降にかかる時間が惜しいので、左岸、右岸のどちらが降りやすそうかをほぼ勘で判断し、フリーで岩場と藪の下降を続けた。
こういう時にTUWVでの経験と30年超の付き合いが効いてくる。トップの判断を後続の人間が脇から谷を覗き込んでサポート。先行が行き詰まったら、すぐに後続が代替のコースを偵察し、ルートを決める。特に細かな打ち合わせを行わなくても、絶妙のチームワークで“ここしかない”というコースを自然に選び取り、下っていく。約4時間ほどかけてテン場に到着、皆ヘトヘトで、この時点で「空身の下降でこのバテ具合。明日、右俣をザックを背負って登るなんて無理」との意見多数で、翌日は縦走路から薬師岳を目指すことにする。
8/6 (土)
テン場から太郎平にザックを背負って引き返し、指定幕営地の薬師峠にテントを張って、薬師岳ピストン。何度もこのエリアを訪れているが、薬師に登るのは皆初めてだ。今回は百名山ハンターの手塚、石川の要望を叶えるための山行でもあるので、石井、千田も渋々、薬師岳を目指す。ただ、岩屋さんは女子大生溢れる薬師峠のテン場の雰囲気が気に入ったのか「ここで山ガールを見ながら待ってる」と、1人だけピストンをしない決断をする。
8/7 (日)
薬師峠のテントを撤収。太郎平を経て折立に下山。富山で寿司を食べて列車で帰京した。皆、50歳を超えて、膝に爆弾を抱えるなど、荷物を担いでの沢遡行が困難な年齢となってしまった。空身の沢登りか縦走がこれから夏合宿の形態となるだろう。もっとも、黒部源流はあと5,6年たっても我々にも遊べそうだ。また皆と訪れたい。
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