新年会欠席のボヤキと銀杏 ・・・ | |
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半年前、知合いの釣り師より頂いた包丁5本のうち2本を、新潟の研ぎ師に最近研いてもらった。“ガマの油”の口上師が、1枚が2枚、2枚が4枚、4枚が8枚・・・と懐紙をスパッ、スパッと切っていくが如く、長ネギの上に研かれた小出刃を置くとその重みで白身のネギがスーッと綺麗に切れていく様は、武士の上段から引き落とす刀の切れ味を連想させるほど、プロの研ぎワザに今更ながら驚きました。 昨年9月に“急性憎悪の糖尿病”と診断されて以来、糖の摂取を低く抑えるためにと、酒は一切断ち、更に糖が多く含まれる白米・穀物類・果物一切・煮物・菓子類等は極力少なめに摂取し、甘飲料は一切口にする事無く、キャベツ食に“精神誠意“努力しました。その結果、改善された生活習慣の賜物で、体重も7kgほど落ちて、血糖値も今では一般人以下の数値に落着いている。但し、油断すればすぐ元に戻ってしまうとのこと。 1年前までは、建造指導として収入外収入として頂いたもので、暖簾が下がっていればそれなりの店で、知らぬ隣人であっても杯を交わして一時を過ごし三昧していた習慣があったものの、今では執行猶予の身であれば、そのままス−ッと暖簾を見過ごしていける状況になっております。 夏前より、再びいそしんできたゴルフも、同期との12月16日のプレ−で年度納めと楽しみにしていたものの、女房の手術立合い日とかち合いチョン。その昔には、“ガン手術の立合いより、仕事を決める海外出張優先”と背中を送り出されたが、現役の終わった今では“当時の言葉”のかけらもなし。グリーン上でカップをかすめたボールのうらめしさの味わいを知るのみ。 この数年、無償の活動としては、季節毎の“浦OB会の100年の森つくり”励行、県立博物館の展示解説、博物館友の会の講演会・見学旅行企画等諸々の活動に携って毎日をただ忙しくして生活している。 年末に、従弟の結婚式がありました。“禁酒”している者に乾杯を依頼するなどと憤懣やるかたなくも、折角の“近酒”の席を用意していただいたことにズラ−っと並べられた輝くグラスに幾杯か味わった。スコッテイの味がバーボンのそれに感じたのは、舌が忘れたためか仕方ないと思ったが、懐かしさがこみ上げてきた。 そろそろ70歳に近づいてきました。解説を受けるお客様よりは、喋る姿に表情が若いと言われるものの、先日鎌倉で撮った孫との七五三の時の写真顔を見ると、髪はうすく表情も陰鬱・・・知らずの内に確かに老けが寄ってきたなと思った。 酒のない、個人に合った調味料が効いてない老け人生は、こんなものかと思わざるを得ない。銀座の店からすでに1年以上足が遠のいている。中村勘三郎が1年前、喉の痛みで入院し、そのまま癌晴ることなく亡くなってしまった。 本物に触れたいと、最近では東大博物館で来館者への展示品説明に活動を始めた。東大構内には、日本人学生はもちろん中国、東南アジアからの留学生、教授、准教授、助教、特任教授、特仁助教、研究員、事務職員、医師、病人そして高校生より一般までの来観者、講演会参加者、各種業者等が至る所で交雑し大学街を築いている。構内には14もの食堂があります。生協食堂で会話する学生達と一緒になると、50年近く前を思い出されます。今年は、季節異変であろうか立派な太い銀杏並木には、銀杏の結実が悪いとか。昼休みには、サッカー場・合気道・弓道場には練習で熱気がこもる。 広い生協で辞典を開く人はいても、今では三四郎池の辺りで読書する人、語る人はいない。それでも銀杏並木と安田講堂の周囲には、筆か鉛筆でスケッチする老人達が座っている。博物館には、近隣と修学旅行生が化石古生物と発掘人骨の見学に来る。何を思ってか? 東大の始業が9月になれば、合格から始業までの5ヶ月間、入学者は思いきったことが出来そうだ。これからの東大生は面白くなる。 現役を引退してからを残り人生1/3とすれば、番犬の如くただ食事してよそ者に対してきままに吼えるだけというに等しい“リュックを背負った老人”の集団が、これからの都市地域にその人生を消化しようと加速的にはびこってくる・・・それはまさに病原菌をもった宇宙人の到来に似ている。 追記) |
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