同期 嶋田和彦君を偲ぶ


平成26年5月25日、15期の 嶋田和彦さん がご逝去されました
慎んでご冥福をお祈りいたします


15期(昭和51年卒) 堀江 博

2014年5月25日、15期(S51年卒)の嶋田和彦君が60歳の若さで、逝かれました。

3月から公私とも連絡が付かず不安を感じていたところ、4月15日、嶋田君から「2月から病気療養中、・・だ」との突然の電話がありました。最初に見舞った日、嶋田君がいつもの様に右手をちょっと挙げ「ヤァ」と挨拶。抗がん剤治療を受けているとの事で、快方を期待していました。しかし、同期のA君、E君の3人で西東京市の自宅に見舞いに伺ったその日の夕方、愛妻 壽美さんの献身的な看病も叶わず、愛妻一人を残し帰らぬ人となりました。安らかな顔でした。

嶋田君は、部活動では主務を務め、控えめながらわがままな我々を良くまとめてくれていました。41年前の2年生の秋合宿、リーダー、サブリーダーとして登った「平庭高原のヤブ漕ぎ」が今も鮮明に記憶に残っています。

クラブ活動と共に勉学に励み、優秀な成績(お世辞ではありません)で法学部を卒業。メーカー志望で、1976年、(株)小松製作所に入社。小松市の粟津工場での勤務の後、米国ペンシルベニア大学に留学 1983年にLLMを取得し、国際法務のプロとして勤務されていました。その後、NTT関連企業に転職しましたが、国際法務のスペシャリストとして、国内はもとより海外でも活躍されバリバリの現役でした。

我が同期も皆60歳を超え、これから、現役時代以上に楽しもうと思っていた矢先の死。悔いなく人一倍働いた人生でしたが、言葉になりません。

9月には、同期の連中で「偲ぶ会」を都内で行いました。翌日、M君と成田市の霊園で両親と共に眠る嶋田君の墓にお参りをしました。一人欠けとても寂しいのですが、これからの行事、嶋田君も参加していると感じながら行うことになると思っています。

またな、「嶋田」。

昭和50年 北面白山山頂にて
平成26年OB会報NO45より抜粋