自分たちが現役の頃、名の知れた山々では、若い登山者で溢れていた。最近の登山者は、高齢者が多いと聞いている。遭難者は、圧倒的に高齢者だ。最近の若者は山に興味が無いのだろう。昭和36年、自分が2年生の時、多くの入部者が集まった。入会金500円也を支払ってだ。当時、中華店でのラーメンが60円の時代だ。学生にとって500円は大金であった。学生コンパの費用は300円から500円、一度1,000円コンパをしてみたいとは夢の中の話だ。集めた入会金は、テント等装備品の購入資金となった。不足金は、学生ダンスパーティーを開催して集めた会費で補った。
式典報告書に各期の部員数一覧が添付されていた。第1期13名、2期14名、3期13名、4期19名、5期は何と28名であった。6,7,8期は20名以上の部員数を誇り、その後30期頃まで10名以上の部員数が続いていた。30期生は、昭和62年度の入学である。この頃までは、山歩きに興味を持つ若者が多かったのだろう。その後、部員数漸次減少傾向が続き、平成5年以降は更に減り続け、一学年1人か2人、時には0が続いていた。全学年で部員数3人から4人では、部消滅寸前である。最後に記載されていた、現役1年の61期生が6人とは頼もしい限りである。
組織の継続とは、人から人への繋がりである。人が途絶えれば組織は消滅の運命だ。自分やTG君の3期は、40名近い新入生が入部した。卒業時に残ったのは13人に過ぎない。内4人は鬼籍の人だ。「野に山にワンゲルへ、自然に親しむワンゲルへ」の誘い文句で入部しても、求める物には個人差がある。入部前のイメージが、実際の活動内容と異なれば、組織から去ることになる。30s、40sのザックを背負い、急な山道を黙々と歩く行為は楽では無い。遙か先に広がる山並みを心に描きながら、ただ脚を運び続けるだけだ。心から山が好きでなければ続けられない事だ。当時は、列車やバス等の交通機関を降りてから登山口まで1日近くをかけて歩いたものだ。これは、山道を歩くウオーミングアップに最適であった。これらのアルバイトに耐えられない者も退部していった。
|