ロシア・クルスク州 ー素朴で、優しい人たちー
11期 (昭和47年卒) 鈴木 元昭
 8月6日、ウクライナ軍が、ロシアのクルスク州に侵攻しました。ウクライナ軍は前進を続け、100ヶ所の集落と1300平方キロを制圧したとされています。
クルスク州に行ったことがあります。
 パイプラインを建造するための鋼管の研究開発を行っていた時代でした。当時はソ連でした。ソ連では、パイプラインの建設が盛んで、ソ連の研究開発機関と交流を行っていました。その時代、ロシアに何回か出張しました。

 出張はモスクワが多かったのですが、1回だけ、パイプラインの建設現場に行ったことがあります。その現場がクルスクでした。1988年のことでした。

 建設現場には、モスクワから夜行列車で向かいました。当時、「ソ連」時代で警備が厳しく列車から外を眺めることができないように夜の移動になったと言われました
夜にモスクワを出て、朝にクルスクに着きました。

 パイプライン建設現場は駅から遠く離れた原野にありました。そこで働くクルスク人と会うことが出来ました。モスクワ人と、はっきり違っていました。モスクワの抑圧された「暗さ」はなく、クルスクの人たちは、開放的で明るい人たちでした。


 夕方に歓迎のパーティを開いてくれました。ペレストロイカで酒類の販売が制限されていた時代でした。そこに出てきたのは、「手作りのビール」でした。藁が混じり、濁ったビールで、未殺菌と思われました。飲むのに躊躇しましたが、気持ちがうれしく、ありがたくいただきました。独特の味がしました。

 当時、ウオッカは、まったく店にありませんでした。しかしながら、「ベリョースカ」という外国人専用のショップがあり、そこにはたくさんウオッカがありました。外貨を持っていれば買うことができたのです。私たちは、モスクワの「ベリョースカ」でウオッカを何本か買い、パーティに持ち込みました。クルスクの人たちはとても喜びました。
 クルスク流のパーティが始まりました。ウオッカをグラスに注ぎ、各人が、「世界に平和を!」などとひと言叫んで、グラスを飲み干します。それを全員がやるのです。20人ほどいたと思います。当然、当方は、急性アルコール摂取状態になり、あっという間に酔いつぶれました。
 翌日はひどい二日酔い状態でした。それを見たクルスクの人たちは、すっかり友達あつかいしてくれて、ハグをする仲間になっていました。
友情の印に贈り物をいただきました。右の写真の「錫(Sn)の盃」がそれです。

 クルスクの人たちは、とても素朴で暖かい心をもった人たちでした。ウクライナ人とよく似ていました。
そんなクルスクの人たちが、戦争に巻き込まれています。
ロシアの指導層の罪は、平和を愛する素朴な自国民にまで及んでいます。
令和6年OB会報NO55より抜粋