直江眞一さんを偲んで
14期 (昭和50年卒) 今 高司
 14期同期(1975年卒)の直江眞一さんが11月25日に誤嚥性肺炎を患い、去る12月11日にご家族が見守る中、永眠されたとご長女の佐穂里様から連絡が入りました。
九大教授を退官して、2019年秋に九州から大好きだった八ヶ岳の麓(甲斐大泉)に移住されて、最愛の奥様と過されていました。OB会の50周年記念行事(2008年10月)で泉ヶ岳を一緒に登ったのが最後になりました。このときに大学ゼミの学生達を山登りに連れ出していると楽しそうに話していました。

 新宿高校出身で、同期のなかではずば抜けてお洒落で、シティボーイで、スマートで格好良く、洗練されていて・・・とワンゲルには似つかわしくない仲間でした。全日本スカーフ普及会会長からスタイリスト賞を授与されたことは知らなかった。

 彼のこぎれいなアパートで、カレーをよくご馳走になったことを思い出します。
山でのNO1エッセンのカレーも「あれはカレーではない。ジャガイモ、人参など野菜はゴロゴロを大きく、当然、肉も大きいビーフがカレーだ。」と語っていました。

 今年の年賀状には奥様と昨年に北の大地の富良野と美瑛に行ってきましたとお二人の楽しげな写真付きで戴いていました。この訃報を聞く数日前にワンゲル同期ほかの仲間15人と懇親会を行っていたときにも話題にのぼり、八ヶ岳山麓に散策に行く計画を画策していたところでした。

 2021年の美しの森の写真は長女の佐穂里様から訃報とともに戴いたものです。残念です。同期の14期と先日の懇親会で一緒だった15期の仲間から思い出話を戴いていますので紹介します。皆さんと来年の春頃に八ヶ岳の麓を散策したいと考えています。
心からご冥福をお祈り申し上げます。 合掌


1973年 3年夏合宿
1974年 4年 奈良田にて
1974年 4年 最終合宿
1975年3月 14期 卒ワンアルバム より
2021年10月 美し森にて
 ・ 宍戸 一弥 **********
 学生時代に子平町の下宿にお邪魔したことや、東京の実家に泊めていただいたことなどを思い出しました。
25年位前、福岡に長期出張していた際に天神の居酒屋で一緒にお酒を飲んだことも記憶に残っています。春になったら入笠山に登って、直江が好きだった八ヶ岳の山々を眺めて見ようと思っています。

 ・ 奥本 健司 **********
 直江君といえば、いつもスマートさで群を抜いていましたね。
何度か子平町の下宿に直江君を訪ねいろいろ話したことを覚えています。「チャイコフスキーの曲が好きなんだよ」「もし大学に残れなかったら、子供が好きだから幼稚園の先生になりたい」等、会話の断片が思い起されます。
 いつだったか定かでないですが、冬の蔵王で登り始めてしばらくして風が強まると、無理せず下山しようと的確に判断してくれたことも印象に残っています。
私は飯盛山の登山口の平沢峠から見る八ヶ岳が気に入っています。
雄大な眺めの中で直江君を偲ぼうと思います。

 ・ 三木 博明 **********
 直江といえば、都会的でスマートでストイック。私とは正反対でした。
そんな彼とは、4年の夏合宿のサポート隊?として、長野県側の戸台から北沢峠、広河原、奈良田まで山行した経験があります。戸台では駅で買った英文週刊誌(どっちが買ったかは覚えていませんが)に掲載されていたCarpentersのYesterday Once Moreの歌詞と楽譜で、盛り上がった記憶があります。クラシックばかり聞いていると思っていたので、意外でした。
 おかげで、その翌日の北沢峠までの登りは、おしゃべりのし過ぎで、最後は日頃の不摂生もあってバテバテ。でも直江は快調そのもの、さすがです。現役からは「三木さん顔色悪いですが大丈夫ですか?」といわれる始末でした。
春になったら、八ヶ岳のふもとを歩き、貴君を偲びたいと思います。


 ・ 男澤 弘 **********
 直江との思い出ですが、新歓とかではあるが合宿やフリーではないですね。
我ら14期?の中で、一番危なかった山行は多分、3年時の春合宿の直江Pではないかな。
朝日連覇でなんと大朝日岳の頂上で雷の直撃を受けた事。全体の反省会では、少しちゃかそうと思っていたら、もうそんなところではなく直撃後は、茫然自失物理的にも相当のショックを受けたらしい。幸いそれ以上の被害がなく遭難騒ぎにもならず、無事下山したものだ。よほどのリーダーシップを発揮したのだと思う。
この時私は須田さんリーダのサブとして、隣の吾妻連峰にいてやはり雷が多かったです。
浄土平に近い鎌沼にテントを張った時は周りがすり鉢状で、雷の音が一晩中響き寝ずらかったのを覚えています。
 直江とは、ゲレンデスキーによく行きました。ワンゲルを卒業してから、何かのきっかけで、未来の奥さんと3人で、宮城蔵王にスキーに行きましたが、その時はよそよそしかったなー。そうしたら、結婚の案内が来てびっくりしました。
とりとめのない話ですいません。
直江が愛した八ヶ岳の景色見たいですね。


 ・ 山口 みどり **********
 直江さんはいつも首にスカーフをさらっと巻いてワンゲル一のスタイリストでした。
2年の南アの夏合宿、私は直江さんと同じパーティーでした。
直江さんは荷上げのために一度塩見を下りたのですが、そのときの下りのあまりの速さに、上ってくる登山者がみんなびっくりして通してくれたと楽しそうに話してくれた声と笑顔が思い出されます。
このときの南アでの夏合宿のこと、八ヶ岳の話、いろいろ話したかったなあと今更ながら思います。

 ・ 名取 章 **********

 直江君の突然の訃報に接し心よりお悔やみ申し上げます。
卒業後久しぶりに昭和56年夏横浜から仙台に家族で旅行した時のことです。
彼から帰京の際はいつも買っていくと聞かされていた西公園にあった賣茶翁という和菓子屋に立ち寄った際、急に声を聞きたくなり電話をかけてその結果ご自宅を訪問したことがありました。突然の訪問にもかかわらず新婚間もない直江夫妻に大変暖かくおもてなししていただきました。我が長女がそこで初めて一人歩き出来たこともあり家内も実によく覚えています。
 その後は残念ながら直江君と対面する機会はなかったと思いますが、同じ法学部に籍をおいていた者として直江君の東北大学での研究生活そして九州大学教授としてのご活躍の様子はインターネットなどを通して時々伺っていました。
金融に進んだ自分とは真逆の西洋法制史研究というアカデミズムに身を投じた彼にはある種の羨望と畏敬の念を覚えたものです。九州大学における7年前の直江君の写真を見ると学生時代とまったく変わらぬ穏やかな雰囲気を醸し出し生き生きとしています。
その印象が強かった自分にとって今回の直江君ご逝去の知らせはまさに突然そのもので哀惜の念を禁じえません。
 彼から学生時代よく聞かされそして文字通り生涯こよなく愛した八ヶ岳を眼前にご冥福をお祈りしたいと思います。

 ・ 遠藤 洋一 (15期) **********
 ワンゲルでは1年先輩でしたが、都立新宿高校では同期でした(クラスは別)。
3年生の12月、直江さんがリーダーで北八ヶ岳と清里の飯盛山に雪上訓練に行ったことを思い出しました(確か廉三君も一緒)。

 ・ 堀江 博 (15期) **********
 直江さんが3年生の時、東北大から離れた北八ヶ岳の冬山に連れて行ってもらい、ご家族から送られた訃報メールにあった写真「美し森」のすぐ隣、飯盛山に登ってきました。
直江さんは、50年以上前から八ヶ岳が気に入っていたのだとあらためて感じました。
令和6年OB会報NO55より抜粋