夏の常念岳・蝶ヶ岳テント泊縦走
ツキノワグマに至近で遭遇のアクシデントも
22期 (昭和58年卒) 手塚 和彦
目的地 常念岳・蝶ヶ岳
日 程 2024年8月10日〜12日
メンバ 手塚和彦(PL 22期)、石川勤(22期)、千田敏之(21期)+1

私は安曇野(旧南安曇郡豊科町)で生まれ、大学進学で仙台に移り住むまではほぼ毎日常念岳を見て育った。幼い頃はあの山の向こうには海が見えるに違いないと思っていて、中学の集団登山で燕岳に登ったとき、その向こうにあるのはさらに高い山並みだと知ってちょっとがっかりした。しかし、その山並みの雄大さと雲海に広がる朝焼けの感動が忘れられず、大学ではTUWVに入部することにした。

実家の墓も西に向かって常念岳と対峙している。墓参りに行くたびに自分の灰は常念岳に撒いて欲しいと思うのだが、それはできないようである。そんな常念岳に毎年山行を共にしている千田、石川の両名は行ったことがないというので、2024年の夏合宿にここを選んだ。

 前日に山梨・甲斐大泉の手塚邸で前夜祭をやって、翌朝4時半に出発。三俣登山口に6時前に着いたものの、180台収容の三俣第1・第2駐車場はほぼ満車。なんとかスペースを見つけて一安心。山の日を含む連休なので入山者が多いことは予想していたが、数週間前の豪雨で一ノ沢登山口が土砂崩れで閉鎖になったことも影響したのであろう。早速、常念岳のテン場の混み具合が心配になった。

このパーティーはこれまで黒部源流の沢登りや読売新道などのあまり人が入らない玄人好みのコースを選んでいたので、今回のようなベタなコースを嘗めてかかっていたところがあり、常念岳の登りには大変苦しんだ。特に前常念に至る大岩が連続するガレ場では思うように足が上がらずペースが落ちた。登りっぱなしの7時間は辛いものがあった。前常念を少し過ぎたところにトラバース道の立て看板があり「上級者コースです。コースタイムは短縮になりません。」と書かれているものの、もう上りたくないとの思いから迷わずトラバースを選択し、少々怖い思いをした。眺望もそれほどでもない修行のような登りであった。

途中、樹林帯でクマに遭遇したことは話のタネである。先頭を歩いていた一人が突然「何かいる!」と叫んだ。と次の瞬間、正面の藪の中からツキノワグマが飛び出して来た。クマもびっくりしたのかその目はとても焦った表情で、猛スピードで我々の間を駆け抜け沢筋に消えていった。石川のウォーキングポールにぶつかったそうである。我々もこれまで幾度か山でクマに遭遇しているが、1メートル以内は最短記録である。最近、登山用品店では「クマ避けスプレー」なるものが売られているが、「あれじゃ、スプレーを取り出している暇はないな」「大人のクマでなくてよかった(子グマより少し大きい青年グマだった)」などと皆で今後のクマ対策について話し合った。

初日に到着した常念小屋のテン場は定数の2倍を超えそうな数のテントで埋め尽くされていた。もう区画も何もあったものではない。なんとか2張りのスペースを見つけてビールで乾杯。翌朝は晴れ。雲海から昇る朝日に槍ヶ岳が照らされる。常念岳から蝶が岳への道は常に右手に槍穂の稜線を望む。大キレットの落ち込みがダイナミックだ。振り返ると三俣蓮華まで見通せる。

常念岳山頂 背景は穂高連峰 2024/8/11

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 約6時間の縦走を経ての2泊目の蝶ヶ岳ヒュッテもテントであふれていた。テント泊入門の山として人気があるようで、多様な登山者。山に行ってみようかしら・・みたいな女性に豆から挽いたドリップコーヒーをふるまう男もいれば、女性のソロも多い。蝶ヶ岳の朝は常念岳よりも更に神々しい。雲海の下には松本平。モルゲンロートに映える穂高連峰の山肌には、蝶ヶ岳のシルエットが映る。

たまにはこんな山行もいい。リスクの少ない稜線を歩き、テント場でゆっくりビールを飲む。そんな山行は、とうに還暦を過ぎたパーティーには丁度いいのかもしれない。下山後は長野・原村の岩屋邸に寄り、極上のジンギスカンを食しながら反省会を行った。

蝶ヶ岳ヒュッテのテン場 正面は常念岳 2024/8/11

蝶ヶ岳の朝 モルゲンロートに映える穂高連峰と槍ヶ岳 2024/8/12

令和6年OB会報NO55より抜粋