「会長を引き受けるに当たっての抱負」というのは私にとって馴染まない言葉である。「長年にわたって切り盛りしてきたOB会の運営を後輩に託す」というのが偽りのない心境である。そのため、会長になっての抱負は特にない。その代わり、これまでを振り返ることによって、これからもずっとOB会を継続していって欲しいという思いを表したい。
【現在のOB会の発足】
現在の形のOB会が発足したのは、私が卒業してから6年経った1975年である。会長が小原さん(4期)、副会長が佐藤(8期)、事務局が水上さん(8期)、菅原さん(10期)で発足した。その後、会計、ホームページ、メールアドレス管理などを担ってくれたかたもおり、今の形になった。
【OB山行】
最初の頃は年1回または2回、OB会主催の山行を企画していた。第1回は平ケ岳で12人が参加したが、次第に消えていった。圧巻は、谷川岳の蓬峠に集まった時で、家族連れが多く、幼稚園の遠足のようであった。何人もの小さい子が、土合までよく歩いたものである。
【会費】
年1,000円の会費徴収と管理は大変であった。10年分振り込んでくれた人もいたが、大半の方からは振り込みがなかった。新年会に集まった方から集めたこともあったが、割り切れないものがあった。会報がホームページ掲載となってからは印刷、郵送料がかからなくなり、葬祭費も廃止して出費がほとんどなくなったのを機に、会費徴収を止めた。
【新年会】
当初は幹事を各代の持ち回りにしていたので、開催日や場所の連絡が大変であった。事務局でやるようにし、開催日を固定し、場所も新橋亭とした。何故、今でも新橋亭なのか? 昔は土曜日の夜に行っていたが、週休二日制が定着した途端、わざわざ休日に東京に出てくる人がいなくなった。そんな折、30か40人くらいで予約していたのに、12人しか集まらなかった。支配人が、「キャンセル料は要りません。来年は人数確認をお願いします」と言ってくれた。この一件があったから、今でも新橋亭である。
【会報】
会報は何故か4号から始まっている。小原さんの話では、3回ほど作ったとのことであった。それならば、ということで最初に作った会報を4号とした。最初の頃は手書きであり、会社に入っている印刷会社にオフセット印刷してもらい、手書きの宛名の封書で郵送していた。ガリ版印刷で作ったこともあった。オギャーと二人で内職しているような感じであった。今はパソコン、メール、ホームページ掲載・・・楽になった。
【ホームページ】
西川さん(22期)がホームページを作ってくれた。画期的な出来事であった。そのお陰で会報も郵送せずに済むようになった。その後藤田さん(半沢12期)が引継ぎ、現在は相原さん(8期)が管理してくれている。
【TUWV 50周年、60周年記念行事】
TUWVの50周年及び60周年記念行事を仙台で行った。ただし、これはOB会の直接的なものではないので、実行委員会を立ち上げて開催した。50周年が後藤さん(3期)、60周年が櫻さん(5期)に実行委員長をしていただいた。在仙の方々には多くの協力をいただいた。2028年には70周年となるが、それはまだ先なのか、もうすぐなのか?
実は、OB会には未だに会則がないのである。会則がないので役員の任期も決まっていない。そのため50年近くもOB会を切り盛りしてきた。ある意味、幸せであった。
|