藤森英和さんを偲んで | ||
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「オギャーなら何を語りかけただろうか」、そんなことを考えながら藤森さんのことを思い出してみた。学生時代、オギャーは台原に住んでいた。その裏庭に面した一室に藤森さんが下宿していた。そんなことがあったためか、オギャーは藤森さんに可愛がってもらっていた、ような気がする。大学卒業後もずっと年賀状のやり取りが続いていたが、それはオギャーとのやり取りだったような気がする。 さて、「オギャーは何を語りかけたのだろうか」、何も思い浮かばない。多分、恐らく、何も言葉にせず、ただ静かに微笑んで見送ったような気がする。 「歩くスピードは歩幅で調整しろ」・・・これは藤森さんから教わったことであり、何故か今でも鮮明に覚えている。藤森さんと私の山における接点はただの1回しかない。藤森さんが3年生で私が2年生の時の、多分2次新練だと思う。サブリーダーとして数人の1年生の前を歩き、パーティのペースを作る役割を担っていた。奥新川駅から大東岳に登るルートで、急登が続くとどうしても1年生が遅れがちになる。そんな時、最後尾の藤森さんから冒頭の指示があった。歩くテンポでスピードを調整するのではなく、歩幅で調整するということは、60年経った今でも思い出すことがある。 藤森さんは、精密機械工学科を卒業後、精工舎に就職した、、、はずであったが、すぐにエプソンに変わった。当時はほとんど知られていない会社であり、どんな会社か尋ねた時、「諏訪では有名な会社なんだよ」という返事が返ってきた。どんな会社なのかも説明してもらったとは思うが記憶になく、ただ「諏訪では・・・」ということだけが記憶に残った。あっという間に、諏訪から日本へ、日本から世界へと飛躍したエプソンの黎明期を支えた一人でもあった。 藤森さんは諏訪清陵高校の出身で、高校時代に八ヶ岳の大同心を登ったという話を伺ったことがある。日本有数の岩壁であり、そんなところを登った藤森さんに、「凄い人なんだ」という気持ちを抱いていた。その大同心の正面壁の中央を突き上げる雲稜ルートを私が登ったのは、ワンゲルを卒業してから実に40年後のことであった。 新年会にはいつも諏訪から出てきてくださり、ニコニコした顔をみせてくれていました。オギャーと共にご冥福をお祈りいたします。 |
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