訃報


平成29年5月11日、8期の 水上俊彦さん がご逝去されました
謹んでご冥福をお祈りいたします


8期(昭和44年卒) 佐藤 拓哉

 2017年5月11日(木)に、TUWVOB水上俊彦君(8期)は富士宮口五合目から単独で富士山をめざしていた。下山予定日になっても帰宅しないことを心配した家族が、13日に横浜戸塚署に失踪届を提出。14日の朝になって五合目駐車場で水上君の車が確認されたことを受け、静岡県警富士宮署山岳遭難救助隊による空と地上からの捜索が開始されたが手掛かりは得られなかった。TUWVOB会がこの情報に接したのは、遭難から8日経過した5月19日の夜だった。

 単独行動である上に目撃者の情報も見つからなかったことから、捜索に不可欠な彼の行動についていろいろな憶測を呼んだ。6月4日になって彼の最終行動軌跡がグーグルアプリ(timeline&myactivity)に残されていることが判明し、それが貴重な手掛かりとなって捜索エリアもある程度絞られた。

 しかし警察の捜索は5月20日に打ち切りとなり、その後の捜索は民間団体の手に委ねられた。各団体の捜索活動が精力的に行われる中、6月24日TUWVOB捜索隊によって、表大沢(赤沢)上流の崖下潅木帯で発見されるに至った。遭難から実に44日目のことであった。

 捜索報告書の「まえがき」 より 

捜索ルートと遭難場所
捜索の詳細は『捜索報告書』を参照願います  html版  pdf 版
****** TUWV卒業記念アルバムより ******  8期(昭和44年卒) 相原 敬

■今日も学校授業なし。男水上何処へ行く。今日は麻雀、明日玉突きか。ぐっと積もれば四暗刻。えいと振れば大三元。勝負に勝って点数に負ける。くよくよなんてするものか。峰に登って下界を見れば背の低さも気にならず。俺には俺の夢がある。されど短き四年間。

■水上坊やと呼んでる人もいるけれど、私は彼のことを陰でスマイリー水上と呼んでいる。彼の怒った顔も不機嫌な顔も見たことがない。

■オギャ〜と背の高さを比べるのを最大の楽しみにしていたが、卒業したら誰と比べるんだ。一人で山に行くとそんなことは気にならんだろう。

■「北条より俺の方が大きいぞ」 とは彼の口癖。いつも小さいのを苦にしていたから、つい言葉になる。いずれ大きくなる時が来るかもよ。

■僕もずいぶん暇だけど僕よりはるかに暇なのだから、もう想像を絶する。 背の低い美人はたくさんいるから、安心して社会に出てください。

■何かと縁のある人間である。二年の夏などオレがグレてたのに本当に良く小まめににやってくれ感謝してます。親しみのおける頼りがいのある人間だが、ちょっとヌケテルのが玉にキズ。

■最近はバーに行っても「坊や」 と呼ばれないし、自動車に乗ってもクラッチに足が届くようになって、大いに気を良くしている。これも如何に暇を潰すかに毎日苦労したためか。でも雪女にバカにされないようにしてね。

■数々の合宿でbtterhalf を勤めてくれた君の力に大きく依存していた。飽きもせず飲んで語り明かした夜も懐かしい。やがて君が小太りになって、山に行けなくなったら哀しい。せいぜい美容体操をして太り過ぎないようにしてくれ給え。

■ただ一人の文系なのに朱に染まってか単純な考えしかできないようになってしまいました。暇な経済が泣きますよ。
■女性を除けばこの学年唯一の文科系学部の部員でしたが、その特色を生かした道は雀道ただひとつ。手中に収めた生駒杯は四年間の精進の賜物でしょう。

■君は人が良過ぎるほどだった。イヤだイヤだなんていいながら結局許してしまう。水上良く聞け。激しい拒絶こそが君の高い教養のしるしだぞ。山行日数も一番多いだろう。暇な経済と言うだけでなく、確かに君は山を愛していたのかもしれない。蟻地獄の味は早く忘れたほうがいいよ。

■山の本当の良さは何だろう。

■僕がワンゲルで初めて下宿に行ったのは君のところだった。それ以来くだらない話を良くしたけど、君は飽きずに聞いてくれたものだ。ありがとう。だけど良く考えてみると僕は君のことを良く知らないな。今度会うときは君の話をしてくれ。

**************************  現役時代の思い出  **************************
1年フリー 伊豆 (鳥山、守護、水上、三原) ごんすけ競演 (伊藤)
3年新歓 泉ヶ岳 (相原、水上) 3年夏合宿 聖岳
3年夏合宿 悪沢岳 4年夏合宿行動本部 兎岳 (京野、北条、水上、濱)
3年夏合宿 南ア (藤中、水上、磯谷) TUWV4年 最終合宿 (泉ヶ岳)
平成29年OB会報NO48より抜粋